categorySD用 日本刀(打刀・脇差・太刀)

●SD用日本刀「鬼神丸国重 写」斎藤一拵

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奥様〜三週間楽しゅうございましたわね!(・∀・)-3-3
いや何とは申しませんが。
今週も犬吉さん、お祭モードで発奮しまして
また一作、大刀をこしらえました。
前回は逆刃でしたけど、今回はちゃんと刃の向きが普通です。
ええ、牙突OKなやつです。




今作は、最近 逆刃刀とはよくセットでお目見えしがちな
新選組三番隊長・斎藤一の愛刀、「鬼神丸国重」!

江戸前期の刀匠、池田鬼神丸国重の現存する一作から
大振りで迫力のある刀身の形と大乱れの刃文を写し、
斎藤一が愛用したと言われている「正阿弥・四方鉈透鍔」も
スーパードルフィーサイズで再現。
丈夫な石地塗りの鞘に黒水牛角の刀装具を合わせ、
幕末の志士にふさわしいソリッドな御刀に仕上がりました。
ぜひ上の画像をクリックして、詳細をご覧ください!(^ω^)/


国重、と聞きますと、最近日本刀に注目され始めた方には
ちょいと前にドール用写をお作りしました「へし切長谷部」の作者である
長谷部国重の方がおなじみかと思いますが、
鬼神丸国重さんと長谷部国重さんは
実のところ、なんっっっにも関係ないおふたりなのです。
活躍時代も出身地も刀派もまるで違。名前が一緒なだけ。

長谷部国重は鎌倉時代から山城国(京都)で一派を築いた古い刀匠で、
それより200年ほど下った時代の備中国重派の祖
水田国重とは縁もゆかりもない様ですが、
鬼神丸国重は、代々刀鍛冶を生業とする備中水田派は大月家の出身。
この大月家から出た史上ただ一人の女性刀工である大月 源が
「女国重」と呼ばれている
ことからも判断できますが、
国重派の国重を名乗っているようです。

ところが、ご本人は摂州(大阪)の河内守国助(二代)に師事し、
そのまま摂州の刀匠として活躍したそうな。
ちなみに河内守国助は堀川邦広に師事し、
作風はどちらかといえば相州伝の流れをくむと思われます。

長谷部国重も山城国に居ながら打った御刀は
山城伝ではなく相州伝だと言いますし、
鬼神丸国重も代々備中伝を受け継ぐ国重派の血脈を持ちながら
他流の刀匠となったのは、現代から見ると
ちょっと「え?」ってお話ですよね。

大昔の日本は、とくに藩政がはじまった江戸時代などは
庶民はほいほいと好きなところへ居を移したりできなかったと
歴史の授業で習ったものですが・・・(´ω`;)?

しかし有名な刀匠の遍歴を見てみると、
どの人も移動距離が凄いのに気づきます。
たとえば
陸奥守吉行は陸奥国(福島県)で身を立てた刀匠なのに
土佐に移って現地で一番有名な刀匠になっているし、
左文字派の祖・左安吉(さのやすよし)は筑前(福岡県)の刀匠だけれど
鎌倉で修行して相州伝を九州刀に持ち込んだとか、
とにかくいつの時代の刀匠も、流浪っぷりが凄いのです。

修行で色んなご縁にすがるうちに遠くへ来てしまったり、
出世すればあっちこっちのお大名に招聘されたりしたのでしょうが、
士農工商の工に当たる刀鍛冶は、まちがいなく庶民でありながら、
「◯◯の守」なんて国守の役職名まで付いたりする人もいるほど
名を成せば武士に近い特別階級にも
引き立てられたということでしょうか。
とにかく他のジャンルの工職とは別格なのですね。

10年以上前、何も知らずに初めて長船刀剣博物館に行った時
現代刀匠が神棚をしつらえ直垂を身につけて
火入れ式に臨む大きな写真を見て
刀鍛冶は神職なのだなあ・・・と
とても感銘を受けたのを思い出します。


まあ国重ちがいからひっかかって
そんなこんなな事をつらつら考えてしまった秋の夕べ。(^ω^;)
秋深しですね。
やっと庭の紅葉が良い色になりました。
でも今期撮影に使えるのはここまでかな〜と。
紅葉の見頃もたいがい短いですよね。



それにつけても鬼神丸の実装はまだですかしらねぇ奥様。
中の人は実装済みだというのに・・・
いえ何にとは申しませんが。
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